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Monday, December 04, 2006

フェルマー

ここ一月ほど、宇宙論の本ばかり読んで、最近そのきっかけとなったサイモンシンのデビュー作「フェルマーの最終定理」を一気に読みました。いま2巡目。。。面白くて、仕事で寝不足なのに時間を惜しんで読みました。

数学者にとっての「証明」の意義。曖昧さを一切排除した完全無欠さ。すべての科学は数学のうえになりたっているというメッセージをひしひしと感じました。その完全無欠さゆえに、その裏になにか隠されているような気がして、背筋が凍るような感覚をおぼえました。

人類の進化のなかで、数を発見し、0を発見し、虚数を発見していくその過程の描写がとても興味深い。

肝心のフェルマーの最終定理の証明については、難しすぎることもあり、概要説明で終わってしまった。仕方ないとはいえ、ちょっと悲しいので、昔大学でつかっていた数学の本を引っ張り出して、偏微分からおさらいしています。

こんなことしてもあまり(フーリエなどは仕事でも使うね。OFDM 地デジの分散)意味はないけれど、数学の証明自体、人間の生活には役にたたないと著者も言及しているし。

圧倒的な事実(数学の絶対的証明)の前には、哲学や思想の入り込む余地はないというか、数学自体が哲学的になっている感じをうけました。しばらく数学のお勉強します。多摩サイをLSDで走りながら、宇宙論考えたり、数遊びしている。なんて贅沢。

これ以上の感想は、余白が狭すぎるので、ここに記すことはしません。。。

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Comments

化学、生物科の学生向けの授業のほうが男女比が違うというのもありますが、私は1年のときに数学科向けの数学概説の講義を受けさせられて
「ああ、数学科を受けようなんて思わなくて良かった」と思った人間です。。。
数学を道具として使うほうが、性にあってるかも

現象を説明するのに便利だから使ってしまえ という物理屋の考えは、数学屋さんに言わせると、「なんていい加減な」と見えるらしい

Posted by: Ken | Tuesday, December 05, 2006 at 03:15

科学は仮説をたてて、実験計画を練り、それを立証するしかないですもんね。数学なら実験は必要ない。

科学はその点、最後の最後ですべてがひっくり返る可能性があるとも言えるし。普通に生きている分にはうまくいくようになっているんですね。きっと。

いま不良解析をしているんですが、仮説をたて、立証してっていうプロセスが、大学のときの実験みたいで。。。そのあとお客様に説明するのが難しい。結局100%証明ってありえないから、突っ込まれるとつらい。

Posted by: おがわ | Thursday, December 07, 2006 at 16:59

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